そこには木でできた小さな舞台があった。舞台の上に上がっていたのは、頭にとんがり帽子を被り、白い顔にメイクで作られた笑顔を浮かべ、赤と黄のジャグリングの玉を両手に持ち、派手だが肩に継ぎはぎがあり煤のかかった衣装をまとった道化師であった。彼は偽物の笑顔を五人全員にそれぞれ向けると、落ち着いた声音で言ったのだった。
「レディース&ジェントルメン。今日は舞台にお越し頂き、心よりの感謝を」
 俺はどうして良いか分からず、他の者達を見た。難しい表情をありありと浮かべたトオルと目が合った。どうやら同じような気持ちだったのだろう。
 五人の困惑した様子を見ても、道化師はあくまで俺達を客として見ているようだった。俺はふと、この道化師の右脚が足首の下からないことに気がついた。それでも適正なバランスで、見る者に意識させないほどまっすぐに立っている。
「あんたの舞台なんて見に来た覚えはないんだけど?」
 ナツメはようやく未練がましくちらちら見ていたスマートフォンを降ろしながら、道化師に向かってはっきりと指摘した。
「ええ? それはおかしいな。ご主人の友人が僕の舞台を見に来てくれるって聞いたから、喜んで用意していたのに……およそ、半日くらいもかけてさ」
 道化師はわずかに声のトーンを上げて言った。信じられないという様子だった。
「ご主人って一体誰なんだ?」
 俺はこの城に来て最初に出会ったクローディアという謎の少女も"ご主人様に招かれた"と言っていたことを思い出しながら、すかさず質問した。道化師は不思議そうに首を捻った。
「まだ会ってないのかい? ご主人は、ご主人さ。他でもない、この時の城のご主人だよ」
「時の城……」
 俺はまたしてもクローディアが言っていた単語を聞いて、ゆっくりと反芻する。道化師はくっくと笑い声を立てた。
「言うまでもなくここのことさ。君ら本当に何もかも知らないんだね。でも大丈夫だよ、君達もしばらく居さえすれば、きっとここが好きになるから」
 道化師は呑気に言うと、急にどんと音がして、体の右側に何か当たったようでさっと身体を捩った。見た感じ、結構痛そうだった。
 一体何が起きたのか。すぐに分かった。カズキがポケットかどこかに入っていたらしい野球のボールを、道化師に向かって投げたのだった。
「何やってんだお前は」
 俺は怒りが込み上げてくるのをやっとのことで抑えつけながら注意した。カズキは面白くなさそうにふんと鼻を鳴らした。
「こんな阿呆の戯言なんか聞いてる場合かよ」
「阿呆はお前の方だろ」
「はあ?」
 カズキはあからさまにいらついていた。俺は何とかこの面倒な弟を説き伏せる説得を編み出そうと思案に暮れたが、どうにも駄目そうだ。きちんと説明したところで相手に聞き入れる気がないのなら、どんな努力も無駄であろう。生活指導の教員が良くぶち当たる悩みと言う奴だ。
「おお、やれやれ、手が取れちゃったじゃないか」
 道化師は何でもないことのように恐ろしいことをさらりと言った。見ると確かに道化師の右手が床に転がっている。カズキはあまりに突飛な展開に硬直した。いくら硬球を投げたとはいえ加減はしたようだし、まさかこんな大事になるとは露ほども思っていなかっただろう。
 悲鳴を上げたのはナツメだった。普段の気が強そうな雰囲気がすっかり失せて、思い切り縮こまっている。
「まあ良いさ、すぐに取り付けられるからね」
 道化師は左手で自身の右手を拾うと、右肩に押しつけた。そしてどこからかさらさらとした粉を取り出して外れた部分にかけた。肩の部分を仄かな光が包み込むと、手はあっという間に元通りになった。
「さて」
 道化師は右手を上下に曲げたりして普通に動くことを確認すると、ジャグリングの玉の一つをカズキに投げつけたのだった。
「そんなもん柔らかいもん当たったって痛くないぞ……って……!?」
 赤い玉はカズキへと狙いを定めて弧を描く途中、ぱあんと唐突にはじけ飛んだ。そしてカズキの頭の上には鮮やかな紙吹雪がふりそそいだ。驚いて飛びのいたカズキは、その場にへたり込んだのだった。
「ま、こういう遊びは嫌いじゃないよ?」
 道化師はいかにも愉快そうにけたけたと笑った。カズキは頭から紙吹雪がひらひらと落ちていくのを払い除けながら、無言で道化師を睨んだ。しかし、さすがにそれ以上手を出す気はないようだった。
 道化師は笑顔の張り付いたままの顔でちょっと真面目になって、五人を代わる代わる見渡した。そしてこのように懇願した。
「頼むよ、舞台を見て行ってくれないか。君達に最高のもてなしをしたいっていう、ご主人の強い希望なんだ。きっと後悔はさせないよ」
 どうしたものか。俺は返答に悩んでいた。明らかにこんなことをしている場合ではないのだが……
「見ても良いよ」
 俺は驚いて顔を上げた。平然とそう言い放ったのはトオルだった。
「おい、本当に良いのか?」
 俺は思わずトオルに尋ねた。トオルは抑揚のない口調で言った。
「もしかしたら、何か現状を把握するための手掛かりになるかもしれないだろう?」
「手掛かりか……冷静だな。当てなんてないんだろう?」
「当てなんてないからこそ、やるのさ」
 トオルは眼鏡の奥をきらりと光らせて言った。こいつ俺と同じ常識人だと信じてたのに、何か思ったよりキてやがる……
 トオルが承諾してしまったせいで、道化師は明らかに目を輝かせて喜んでいた。今更「やっぱなし」とか言っても、聞き入れてはくれなさそうだ。
「では、早速なんだが庭に出て、青い薔薇を取ってきてくれるかな? お代として貰うのがルールなんだ」
 道化師は舞台の主役らしく澄ました態度に戻って言った。
「庭? どこにあるんだ?」
「あの扉を出ればすぐだよ」
 それは先程カズキが先走って出ようとした扉だった。

* * *


「花の香りが、すごく強いわ。広い庭なのね……」
 ヒカリは霧が立ち込める多少凸凹のある地面の上を危なげな足取りながらも、トオルに手を引かれながら用心深く歩いた。ヒカリは部屋に残っていても良いという話にはなったのだが、やはり一人で取り残されるのは心細いらしく同行することとなった。
 扉を一歩出た先には、一面に花畑が広がっていた。薄い青色をした花びらをつけた可愛らしい小柄な花がびっしりと地面を埋め尽くし、幻想的な風景を形作っていた。
「勿忘草……か。意味深だね」
 トオルはヒカリが転ばないように気をつけて、花の一つを摘まむとしげしげと見た。
 道化師が取ってきてほしいと頼んだ花は、青い薔薇だった。しかし辺りには見渡す限り勿忘草ばかりだ。不可能という意味も持つ青い薔薇の捜索は……少々難航するかもしれない。
「外に出たことだし、逃げちゃうってわけにはいかない?」
 ナツメは何となく落ち着かなさげに身体をゆすりながら言った。
「それは止めた方が良いんじゃないかと思うよ」
 トオルは視線を遠くに向けながら言った。大きく凸凹した円を描くようにまばらに広がっている花畑の外には、より濃い霧が覆い尽くし、物が全く見えないぐらいになっていた。安易に花畑の外に出れば、場合によっては永久に迷子になってしまうだろう。ぞっとしない話だ。
「でももしかしたら、ちょっと歩いたら知ってる場所に出られるかもしれないし……」
 ナツメは言うと、ごくりと唾を呑んだ。
「……ナツメってさ、ひょっとして」
 俺は何となくさっきから気になっていたことを、ふと口に出してみる。
「実は、意外と怖がりだったり?」
 ナツメはそう言われて、一瞬フリーズしたように全体の活動を止める。そして見る見るうちに顔を赤くして、耳を弄さんばかりに怒鳴った。
「そんなわけないでしょ! いきなり失礼なこと聞くのね、あんたって!」
「わ、悪い、そうだな、失礼だったな……」
 その激しい剣幕に気押されて、俺は思わず謝った。こんなに過剰反応されてしまうとは……やっぱり、図星だったんじゃないのか?
「何か、あそこに人がいるぜ……あれは誰だ?」
 カズキが目を凝らして前方を見つめていた。そこには確かに自分達と同じくらいの背格好の少年が突っ立って、どんよりと曇った空をぼうっと眺めていた。
「僕達と同じ立場の人かな。それとも……」
 トオルは顎に手を当てて考えを巡らせているようだった。
「分からんが、危険そうな感じもないし、行ってみよう」
 俺はそう言うと、花をかき分けながら少年にずかずかと近づいていった。

* * *


 少年は俺達が側まで来ると、すぐに気がついてこちらに視線を向けた。黄緑色の寝間着姿で、どこか不健康そうな白い顔をしていた。
 俺は勇んでやって来たものの、場面が特殊すぎるのもあって、どう声をかけて良いか途方に暮れた。少年はきょとんとして、こちらが何か言うのを待っている。
「ええと、やあ……」
 俺は何とかまるで情けない挨拶をした。ナツメがそれを聞いて吹き出した。
「やあ……って。 やあって!」
「お前ちょっと黙ってろ」
 俺は心ない揚げ足にむっとして文句を言った。見るとナツメはまだくすくすと笑っている。さっきの仕返しのつもりなのだろうか。俺はわざとらしくこほんと咳をし、仕切り直した。しかし俺が何か言う前に、少年の方からこちらに話しかけてきた。
「貴方達も、時の城に招かれたのですか?」
 丁寧な印象の少年だった。見ているだけの時はどこか人間ではないような存在感の薄さが感じられたが、こうして話してみるとごく普通の同年代の人間であった。
「一応、そういうことらしいが。招かれて承諾したつもりが一切ないから、後で主とやらに抗議するつもりだ」
 俺は真顔で言った。ナツメは何故かまだ笑い止まないでいる。俺、そんなにおかしなことを言っているか? それとも笑い上戸とかなのか?
「ここは良いところですよ。痛いことも、苦しいこともない……皆さん、ずっとここで暮らす方が、賢明だと思いますよ」
 少年は極めてゆったりとした口調で言った。俺は反射的に眉を潜める。
 どうしてこんな気味の悪い城で暮らさなければならないんだ。一体何を思って彼はそんなことを口にするのだろう……
「そんなわけにはいかないんだ。取りあえず、青い薔薇がどこにあるのか知らないか?」
「青い薔薇ですか? ほら、あそこに樹があるでしょう……側まで行って見れば、すぐに分かりますよ」
「ありがとう」
 俺は簡単にお礼を言うと、さっさと言われた方へと行くことにした。少年が示した方角には、ダークグリーンの葉を沢山茂らせた樹が一本、どっしりと根を降ろしていた。
 カズキが先頭になって平らでない歩きにくい花畑の中を進んでゆく。俺は何となく振り返って少年を見た。少年は相変わらず血の気のない顔をしている。
「一緒に来る気はないのか?」
 少年はこちらの提案に、ただ微笑みを返した。
「行く理由がありません」
 俺は仲間に遅れないよう再び歩き出した……しかしその時少年がぼそりと低い声で言った言葉は、しっかりと耳に入ってしまった。
「行く理由などありません……僕達に行くべき場所など、もうないんですから」
 俺は後ろを振り返った。少年は跡形もなく、そこから消えていたのだった。

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