ひっそりと孤立して心細そうに立っているその木は欅に良く似た形をしていた。しかし葉の色合いは奇妙に暗く、枝は一際細やかに分かれていき、あちこちにランプのような、素朴な灯が木をぽつぽつと飾っていた。
「薔薇なんてないぞ、どこにも」
 カズキは樹の麓をうろうろと探し回った。樹の周りにはやはり勿忘草ばかりが咲いていて、青い薔薇の姿はなかった。
 樹は小高い丘に立っていて、そこから花畑一面を見渡すことができた。どこまでも広がる勿忘草の絨毯は中々の壮観だったが、少々不気味でもあった。
「ここってさ、実はもうあの世だったりしないよな……」
 俺は何となく思いついた不吉なことをつい口に出してみた。ナツメはぶるりと身体を震わせた。
「馬鹿なこと言わないでよ」
 カズキは樹に向かって手を伸ばした。枝に触れると、葉ががさりと音を立てて避ける。
「あの光ってるのって何なんだろうな?」
 カズキはもうほとんど樹に灯ったぼんやりしたものに手を届かせていた。掠めるように手に握られたそれは、どうやら種類は分からないが何かの実のようだった。
「食えるのかなこれ、食ってみる?」
 カズキは面白そうに手の中で弄びながら実を観察した後、トオルに謎の実を突き出す。トオルはそれを失笑しながら突き返した。
「君が食べれば良いんじゃない」
「さすがに毒とか入ってたら、やばいからな」
「君は毒が入ってるかもしれないものを平気で僕に勧めたのかい?」
 カズキはトオルの皮肉に大して頓着せずに、また樹を仰ぎ見た。そして今度は何を思ったのか、出しぬけに樹によじ登り始めたのだった。
「おい、何やってんだ?」
 俺は口をぽかんと開けながら、カズキの奇行を見守った。カズキは振りかえると、樹の一番長い枝の先をそっと指差した。
「何かいる」
 指差した先には確かに奇妙なものがいた。影絵のように輪郭がぼんやりしているウグイス程の大きさの真っ青な鳥が佇んでいたのだった。
「幸福の象徴とかいう、あれか?」
 俺はまるで置物のようにぴくりとも動かず静かにしている青い鳥を下から覗くように見た。
「分かんないけど、珍しそうだし、捕まえてやる」
 カズキはずんずん樹の上まで登っていき、青い鳥に狙いを定めていた。
「おいおい、無理だろ。降りろよ」
 俺が止めようとするのも聞かず、カズキは青い鳥に向かって素早く手を伸ばした。もう少し――後数ミリで掴める――済んでのところで、青い鳥は大きく翼を広げ、ふわっと枝の上を離れた。
「うおお……!」
 バランスを崩したカズキは、慌てて幹にしがみ付いた。被っていたキャップがはらりと宙へと投げ出される。カズキは何とか態勢を整えて安堵したのもつかの間……結局足場にしていた枝が突然重みに耐えかねたのかぽっきりと折れ、カズキはあっという間に地面に落下していった。
 青い鳥は花畑の上空を悠々と飛んだ。羽ばたく度に光の粉のようなものが辺りに飛び散って、美しく尾を引いていた。光の粉が捲かれる度にその身体は段々と細長くなっていき、最後の方はウグイスというよりは鶴と呼んだ方が適切なシルエットに変わっていた。
 青い鳥は花畑の丁度中央の近くを旋回し、やがてゆっくりと地上に舞い降りていった。地面との距離が減っていくにつれ、青い鳥の色合いは薄くなり風景に溶けて、やがて消えていった。
「痛えよ……ふざけんな……」
 地面に激突したカズキがぼやいていた。受け身は取れたようで、怪我もどうやら多少背中を打ったくらいで済んだみたいだ。
 俺達はすぐに青い鳥が消えたところまで行ってみた。微かな予感の通り、青い薔薇が凛然と咲き誇っているのをそこで見つけたのだった。

* * *


 道化師は嬉々として差し出された薔薇を受け取ると、服の右襟の部分に差した。そして恭しく礼をしたのだった。
「では、改めて……ようこそ、アデルモの舞台へ。皆様には是非楽しんで頂けるよう、心を込めて演出致します」
 道化師が小さな舞台の中央に立つと、クルミ割り人形の音楽がフェードアウトしていき、無音になった。厳かな沈黙がしばらく続いた後、新たな曲が始まった。運動会などで良く聴いていた馴染みの深いメロディーだ。後でヒカリに尋ねて分かったことだが、道化師のギャロップ、という名の曲であるらしい。
 気がつけば一体どこから湧いてきたのか、あちこちに大量の風船が現れて、飛んでいった。視界を遮るほどの風船の群れが舞いあがっていくと、それらは天井近くでぱっと消滅してしまった。そうして再び周囲が見えるようになると、俺達は最早先程の薄暗い城ではなく、広いサーカスのテントの中にいた。
 俺がサーカスを直に見るのは、確か二度目になる。小学校二年生の時だったか……カラフルな色彩のパンフレットを片手に、渋る両親を一生懸命説得した日のことが思い出される。小さい子供というのは、危険そうに見えるものに何となく惹かれてしまったりするものだ。あの時は両親に連れられて、目を輝かせて華やかな舞台を楽しんだものだった。しかしそれ以来サーカスを見に行く機会はついになかった。年頃の子供らしく他の友達と一緒にゲームやスポーツにはまることに忙しく、サーカスなどという流行りではない楽しみはいとも簡単に忘れ去られてしまったのだった。
 六年も経ってから思いがけなく観る機会を得た二度目のサーカスは、意外にも見ごたえがあった。
 まず最初に出てきたのは虹色のケープを身にまとった七人の小人だった。小人達は一斉に行儀良くお辞儀をすると、いきなりひょいと分裂して、十四人の小人になった。ぎょっとしながら見ていると倍になった小人達はまたもや分裂し、今度は二十八人になる。
 二十八人の小人達はわらわらと一か所に集まると、あっという間に組み体操さながらのピラミッドを形成したのだった。小人達はピラミッドの隊形のまま音楽に合わせてくるくる回ったり、鈴をしゃんしゃんと鳴らしたりするのだった。しまいにはそれぞれ好き勝手に飛び跳ねて、全体が波打つようになった。恐ろしいバランス感覚だ。
 ふと横を見ると、ナツメが夢中になってスマートフォンで演技を撮影していた。これ、勝手に撮って良いのだろうか……そうしているうちに小人達は隊列を崩すと一列に並んで、一斉にお辞儀をした。拍手を惜しむ必要はない、申し分のない演技であった。
 次に出てきたのは、銀色の毛皮に覆われた狼であった。狼が澄まして待機しているところに、二人の白いドレスを着た女性がやって来ると炎の輪を六つ一直線に配置した。狼はごうごうと燃え盛る炎の輪の向こうをきっと見据えると、数歩後ろに下がった。そして助走をつけながら、一気に輪目掛けて飛び込んだのだった。迫力ある一瞬であった。場面はスローモーションのようになり、鮮やかに狼が輪を一つ一つ突破していった。俺達は固唾を飲んで静かな躍動を見守っていた。何事もなかったかのように狼は向こう側に優雅な動作で着地した。
「もう一回やるみたいだな」
 カズキは興奮気味に指差した。どうやらさっきは道化師に向かってあんな真似をした癖に、意外と楽しんでいるらしい。
 輪にまとわりついていた炎が大きく広がっていき、空白を満たした。こんな輪をくぐれば幾ら何でも身体に火が移り黒焦げになってしまうだろう……俺は息を呑んでこれから起こることを待ち構えていた。
 狼は臆することなく、再び軽やかに跳躍した。獲物を待ち構えるように手を広げる炎の渦の中に、果敢に挑んでいく。狼の雄々しいシルエットが、絡みつくようにめらめらと舞う火の網目を見事に横切っていった。
 最後の炎の輪から飛び散る火の粉と共に飛び出した狼は……その毛皮に厳然たる金色を帯びていた。ただ呆気に取られて見ていた俺達を、黄金の狼は横目で一瞥すると、堂々たる振る舞いで身を翻し、舞台の向こうの闇へ去っていった。

* * *


 その後にも、いくつか不思議な見世物が続いた。みんながすっかり舞台に見入る中、俺はふと右端のテントの入口からこちらを見つめている一対の目に気がついた……俺がそちらに目を向けると背の低い何者かがさっと引っ込み、見えなくなってしまった。編まれた髪が掠めて外へ逃げ出すのが一瞬だけ視界に入った。
 俺は何故だか胸がじりとざわつくのを感じた。思わず衝動にかられ入口に向かって足を踏み出そうとしていた……しかしその途端何かに引っ張られてよろける。ナツメが俺の腕を掴んで不審げに見つめていたのだった。
「一人で勝手にどこ行くつもりよ」
「あそこに誰かがいたんだ」
 ナツメは俺が指差した方角を注視した。入口の外からは仄かな闇が覗いている。そう言えば今は夜なのだろうか……トオルなら確か時計を持って来ていたから、時刻が分かるかもしれない。
「誰もいないじゃないのよ」
「いや、いたんだ」
 ナツメは入口と俺の顔を見比べると、尚疑い深い眼差しを称えながらじっと考え込んでいた。
「まだ外にいるかもしれない、見てくる」
「ちょっと待ってよ」
 俺が早足に入口の方まで向かっていくと、ナツメも慌てて俺の後に続いていった。
 テントの入口から外を覗いてみると、俺はあまりに恐ろしいものをこの目に目撃した。それは暗闇と言うよりは……黒い「何か」だった。明らかに質量のある蠢くそれらには、ぎらぎらと白く輝く一対の目のようなものがあり、こちらを覗き見ていたのだった。
「!!!」
 恐ろしい姿をしたそれらは、どろりと滴るような腕をこちらに向かって伸ばしてきた。視界が揺らぎ、あっという間に濃い闇に飲み込まれていく……

* * *


 何が起きたのか全く分からなかった。まるで映画の一幕の終わりのように世界は暗転し――今再び光を取り戻したのだった。俺達五人は再び、城の広間の木でできた小さな舞台の前に立っている。舞台の上には、右脚のない道化師が厳かな様子で佇んでいた。いつの間にか、音楽は止んでいて辺りは静寂に満ちていた。
 道化師はジャグリングの玉を確認しながら、口元だけで笑みを作って見せた。
「ああ、こうして僕の演技をお客様に見てもらうのは、長年の夢だったんだ……今まで、ご主人にしか見てもらう機会はなかったから」
 道化師は感慨深げに言うと、赤と黄の玉を一つ一つ上へと高く高く放り投げていく。舞い上がった六つの玉は緩やかに道化師の手に落下し、また飛んでいく。くるくると弄ばれる玉はやがてそれぞれ星の形へと変化していった。
「ご主人に、よろしく言っておいてね。ご主人に会うなら取りあえずは屋上に行ってみな、そこに階段があるだろう?」
 道化師はそう言い残すと、宙を舞う星を残してあっという間に姿を消した。星はしゅうと音を立てて、次々と流れ星のように斜めに舞台を降りていった。誰もいなくなった小さな舞台はどこか物悲しく見えたのだった。
 沈黙が流れる中、トオルが最初に手を叩いた。それにヒカリがつられて、最終的にみんなが拍手をしていた。言葉にできないような余韻が残る中、舞台はカーテンに閉ざされていった。

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